野球界で起こる理不尽について問いたい
お疲れ様です!
久しぶりのブログ更新です。
重たいテーマです!
【野球界で起こる理不尽について問いたい】
なんでこれかってところなんですが。
まず大前提として、レジリエンス的な理不尽はここでは除外しますね!
これは間違いなく必要不可欠です。
ある指導者研修会に参加しまして、登壇するような偉い先生が言っていました。
「部活動は理不尽を学ぶ場所である」
ものすっっっごい違和感を感じたんです。
いや、確かに今までの部活動はそういう側面もあったと思います。
中学高校では指導者から殴られたり、殴ったことを正当化したり、自分もバカなんで後輩に長い時間説教してみたり…
理不尽は嫌ってほど経験して来たつもりです。
大人になっても理不尽なことだらけですよね。
そこに対する経験値であると捉えれば、悪くは無いのかなという考えも十分に理解できます。
ただ、問題なのは「理不尽を受けたから今の自分に生きている」という考え方です。
これが「今に生きているのは確かだけど、理不尽に当たらないやり方で次の世代に繋いでいこう」という考えになってくれれば何の問題も無く、より良い教育に繋がると考えます。
しかしながら、今残っているものは「理不尽を受けて良くなったから次の世代も同じようにやろう」という考えが殆どだと思います。
例えば高校野球で考えてみると理不尽が起きやすいのは
・監督→選手
・上級生→下級生
こういったものが多いかと思います。
で、さっきの「理不尽を受けて良くなったからー」が受け継がれていくと、ハラスメントやイジメの構図が完成します。
かつてはシゴキや教育的指導などと言われていました。
しかし、結果的にこれで人も死んでます。
野球人口減ってます。
理不尽を受けて良かったと思ってる人、本当に運が良かった!死ななくて良かったですね!
本当に理不尽を受けて良かったですか?
そうしないと真っ当な人間になれませんでしたか?
理不尽を受けて理不尽を行うのは真っ当な人間のやることなんですか?
死ぬまでやるのは違う!と思ったあなた!ちょっとならいいんですか?結果が違うだけでやってることは大なり小なり同じでは?
こういうこと言うと何故かバカにされるんですが【野球における教育の矛盾】ですよね!
野球にはまだ根強い理不尽ですが、それで野球人口増やしてこうってんだからバカバカしいです。
まだまだ野球は無くなった方が良いスポーツであることには変わりません。
もし、読んでくれている方がいるならこうしませんか?
「社会に理不尽は沢山ある。だから理不尽なことが起きない世の中に変えていける人間を育てましょう!」
長くなって来たのでここまでにします!
色んなご意見お待ちしております!