指導者を始めた頃と今後目指したいところ
こんにちは。
今日は指導者になってから今まで、そしてこれから目指すところをお話しさせて下さい。
私は着飾ったりできません。
ありのままを、お話しさせてもらいますので、お見苦しいところを見せてしまうかもしれませんがどうぞ宜しくお願い致します。
そもそも指導者になったのは2012年の春でした。当時東京で大学を中退し、居酒屋でアルバイトをしてギリギリ生計を立てられず(笑)フラフラしていました。
あるスポーツ店で見つけた【ジュニアバッティングスクール】のポスター。
大学を中退して野球から遠ざかっていた私はこのポスターに強烈に目を奪われ、気がついたら当時買ったばかりのiPhoneですぐに求人をググっていました。(笑)
始めたばかりの時は、右も左もわからず、ただただ、自分の経験でしか教えられなかったです。
ただ、この頃から常に思っていることがあって、それは【選手と同じ感覚になること】でした。
今考えるとなかなか難しいことなんですが、当時はすぐ結果も出せたのでなれた気でいました。
実際になれたのかどうかは今となっては分かりません。
やはりしばらくすると結果も出なくなりました。
こうなりゃ勉強するしかないな!そう思ってそこから勉強しましたが、やはり自分の力とは小さいものです。
知らなかったことが沢山ありました。
ここでようやく気付きました。
【自分がしてきた経験なんて、全国ゴマンといる野球選手の中でのたった一つでしかない。】
自分の過去の経験を捨ててから指導者としての成長スピードが変わったように思います。
今良い指導者かと言われると全然そんなことは無いのですが、あの頃よりかは幾分かマシな指導者になれたかな…とそう思います。
アルバイトを初めて7ヶ月後、試験を受けて合格し晴れてジュニアバッティングスクールの社員となりました。
ここでも沢山のことを学ばせて頂きました。
接し方から指導に関して、また経営者としての仕事も学びました。
チームビルディングや経理関係…
今思うと本当に有難い時間でした。
特に今でも大事にしているのが
【物事の責任は100%自分自身にある】という言葉です。
だからこそ、人の手を借りる、ということを覚えました。
【物事の責任は100%自分自身にある】ということを自覚している人達と仕事をすることで、目標達成に近づくことができると実感することができました。
ここで出会った人達についてもまた機会があれば書かせて下さい。
2016年、新潟に来て2年目の年、私は独立します。
まぁそう上手くは行きません。行ってた時期もありましたが、今はまたなかなかしんどいです。(笑)
指導者として、JBS新潟をやり、クラウングループをやっていく中で、今後は自分が更に成長することは当然として、若い指導者の育成にもあたりたいと考えています。
今野球界は色んな指導に溢れています。
旧来型の指導から、〇〇理論、〇〇スイングなどなど…
私は何が良いとかおすすめは特にありませんが、打者なら10割全打席ホームラン、投手なら全打者3球三振を達成する選手の育成を目指してもらいたい(私も当然目指しています)。
その為には無限の引き出しを持っていたいですね。
【無限の引き出しを持つ指導者】=【選手と同じ感覚になれる指導者】
私はこれから自分の指導が正解だと思え無いタイプの指導者になって行くかと思います。
自分の指導が正解、正しいなどと胸を張れる指導者になりたく無いです(解剖学や力学などの理論上の正しいはあるかと思います)。
科学者達が良い指導者かというとそうではない。
【完全はあり得ないが常に完全を目指す。】
これもJBSで学ばせて頂いたことです。
今日はこの辺で。また宜しくお願い致します。