間違ってました。
指導者という言葉が嫌いで、そうはなりたくなかった自分が居ました。
でもいつの間にか、指導者になってました。
自分は監督という立場があり、ジュニアバッティングスクール新潟のコーチという立場があり、世間一般でいう指導者のカテゴリに属する人間です。
でも自分はそんなに出来た人間では無いし、上から物を言えるような人間では無いはずなんです。
学も無いし、野球も上手くは無い。
野球スクールでのコーチを始めたばかりの時は技術指導なんか出来なかったけど、子供は上手くなってた。「あんなに野球を楽しそうにやる我が子は初めて見ました」なんて声も頂いたこともあります。
その時、自分は指導者だなんて思っておらず、少し子供達より野球の経験が豊富な歳の近い、一緒に練習するパートナーだと思っていました。
自分の在り方、存在は本来そうあるべきなんです。
自分は指導者である、というのは烏滸がましい考え方だと思っていたはずなのに…
最近の自分は指導者としての立ち居振る舞いだったなと反省しております。
指摘するよりアドバイスの方が建設的で、誰も嫌な気持ちにならなくて、何故出来ないかを一緒に考える方が信頼関係も生まれて、選手も私に質問しやすい環境が作れたはずで、勿論私はそうしていくべきはずなのに「選手自身が考えてくれよ」と言いながら、これは裏を返せば自分への甘さであると痛感しています。
皆本来もっと活躍出来たんじゃないか、本当はもっと勝てていたんじゃないか、そんな後悔を今抱えています。
過去は変えられません。今と未来に目を向けてやって行かなけれいけません。
俺はまだまだ自分に甘い。
監督という立場でありながらも、指導者という偉そうなものではなく選手に寄り添うパートナーであるべき。
頑張ります。